Special
Livr Report at SHIBUYA Duo
真夏の夜の奇蹟。まさにそう呼んでもいいようなライブが、このたび渋谷duo MUSIC EXCHANGEにて行われた。題して[- ISSAY gave life to FLOWERS -]。これは昨年8月5日に不慮の事故で急逝したDER ZIBET(デルジベット)のヴォーカリスト・ISSAYを追悼したトリビュートアルバム『ISSAY gave life to FLOWERS - a tribute to Der Zibet -』(岡野ハジメ・プロデュース作品)が、ISSAYの誕生日=7月6日に発売されたことを受けてISSAYの命日前日となる8月4日に行われたトリビュートライブで、ここにはトリビュートアルバムのレコーディングに参加した総勢60名以上にのぼるミュージシャンのうち、実に31名が集うことになったのである。
また、当日はDER ZIBETのリーダーでありギタリストであるHIKARUが全編にわたりバンマスとしてステージを牽引していただけでなく、演奏の合間には終始“出ずっぱり”で進行役まで果たしていたことも大きなトピックスで、その頼もしい姿に感慨深いものを感じた人も多かったのではなかろうか。
「今日は来てくれてありがとうございます。DER ZIBETのHIKARUです」(HIKARU)
「みなさん、お暑い中ようこそお越しくださいました!」(ちわきまゆみ)
開演と同時にまず登壇したのはHIKARUと、もともとISSAYとは公私ともに交流の深いちわきまゆみ。そして、このふたりが記念すべきライブのトッパーとして紹介してくれたのは、今回のイベントにおいて唯一バンド単位での出演となった断頭台のメロディー。昨年11月に始動した新しいバンドだけに、まだバンド名がそこまで浸透しきってはいないところがあるものの、断頭台のメロディーでヴォーカルをつとめているYUTAKAとギターの小笠原健一は、かつてHIKARUがプロデュースしていたKneuklid Romance(現在活動休止中)のメンバーでもある。そうした縁から、トリビュートアルバム『ISSAY gave life to FLOWERS - a tribute to Der Zibet -』では彼らが「水銀の湖」をカバーしてくれることになり、この場ではそれをHIKARUと共にいわば師弟共演のかたちで披露することとあいなった。
メタル界隈で堅実にキャリアを積んできたドラマー・HIMEと、湾岸の羊のベーシストしても活躍しているRyo-Taの繰りだす強靭なリズムパートを土台に、アグレッシヴかつモダンヘヴィなサウンドをもって「水銀の湖」を再定義してくれた断頭台のメロディーのセンスあるアプローチと果敢な心意気に対し、ここでは場内から喝采が送られたのはもちろん言うまでもない。健一とHIKARUが並んでギターを弾いていた姿も、間違いなく胸熱なシーンだった。YUTAKAの実直なフロントマンぶりもあわせて、今宵の口開け役としての重要な役割を断頭台のメロディーは十二分に果たしてくれたと言っていいだろう。
「ありがとうございました、断頭台のメロディーでした!みなさん、今日はISSAYさんを噛みしめていってください!!」(YUTAKA)
2番手として登場したのはDavid Bowie Memorial Show Bandの肩書きを持つmichiaki (Ra:IN)、柏原克己 (原始神母)、三国義貴、山鼻朝樹 (Age of Punk)という面々。横浜にあるライブハウス・THE CLUB SENSATIONで開催されてきた[David Bowie Memorial Show]にはISSAYもコンスタントに出演していたのだが、ここでのフロントマンを担ってくれたのはダイアモンド☆ユカイ。しかも、傍らには木暮“shake”武彦の姿まで…!RED WARRIORSおよびDiamond Shakeでもタッグを組み続けてきている2人には、とにかくゴールデンコンビという言葉がよく似合う。
「HIKARUとはもう長い付き合いでさ。そして、こうしてISSAYのためにこれだけたくさんのミュージシャンが参加してくれるなんて、アイツはとっても幸せなヤツだよ。やっぱ、死んだ時にわかるな。っていうか、アイツ今日ここに来てると思う。そこにいるぞ、きっと。観てるか、ISSAY!!」(ダイアモンド☆ユカイ)
「うん、いるのはわかってる(笑)」(HIKARU)
微笑ましいやとりとりのあとに聴けたのは、トリビュートアルバム収録の「Perfect Kiss」。ちなみに、この曲の詞にある〈僕のロケットで 流星とレースをしに行こう〉というフレーズをユカイは〈僕のロケットで ISSAYの場所へ行こうぜ〉と歌い替えてくれており、その愛ある心遣いには“そこにいるISSAY”もさぞ喜んでいたのでは??
「最近はエアロスミスのスティーヴン・タイラーがツアー引退しちゃって、寂しいんだけどさ。彼は咽頭が骨折するまで歌ってた。まぁ、だからISSAYも一緒だよな。最後まで歌い続けるっていう、そんなヤツらに捧げるぜ!」(ダイアモンド☆ユカイ)
この言葉を受けて始まったローリングストーンズの名曲「悪魔を憐れむ歌」 に、とびきりのロックンロール魂がこもっていたことは、この場に居合わせた誰もが感じたことだろう。日本で長年ロックンロールの真髄を体現してきたレジェンダリーなミュージシャンたちの放つ音には、言い知れぬ説得力が滲んでいたように思えてならない。
なお、このあとには引き続きDavid Bowie Memorial Show Band+HIKARUがバック演奏を受け持つかたちで、ISSAYが敬愛していたデヴィッド・ボウイの「HEROES」を木村世治(ZEPPET STORE)、宙也 (アレルギー / De-LAX / LOOPUS / 極東ファロスキッカー)が歌い、さらには土屋昌巳がギターでゲスト参加するという、これまた“ここでしかまず観られないであろう”奇蹟的なセッションが実現。
しかし、奇蹟のような時間にはまだまだ続きがあった。ほどなくして登場したのは、小林祐介 (The Novembers/ THE SPELLBOUND)、高松浩史 (The Novembers)、小関純匤 (マチルダロドリゲス / VooDoo Hawaians)、藤原真人(DER ZIBET)の4人。あわせて土屋昌巳とHIKARUがツインギターを担うかたちで、トリビュート収録のバラード「LOVE SONG」と、DER ZIBETの4thアルバム『GARDEN』におさめられていた「BLUE FILM」が、小林祐介の美しく繊細なヴォーカリゼイションにより聴衆の心を深く震わせていくことになった。
「中学生の時、友だちのお兄さんから貸してもらったMDにSOFT BALLETやBUCK-TICK、DER ZIBETの曲が入っていてそれを聴いたのが最初の出会いだったんですが、もともとL'Arc-en-Cielが好きだったので、彼らが影響を受けた音楽をいろいろ漁っていくと必ずDER ZIBETやISSAYさんに繋がっていってしまう、という青春時代を僕はずっと過ごしてました。そして、のちのち手塚眞監督にMV撮影をしていただいた時に自分の中で全てが“繋がった”んです」(小林祐介)
そう、手塚眞監督といえば。ISSAYはヴォーカリストとしてのデビュー以前に、俳優・ISSAYとして手塚眞監督の劇場用初作品『星くず兄弟の伝説』に出演しているほか、続編『星くず兄弟の新たな伝説』、また近年では稲垣吾郎と二階堂ふみのW主演で話題となった『ばるぼら』にも出演していて何かと縁は深い。そのうえ、このステージとトリビュート盤で共演することになった土屋昌巳はThe Novembersのプロデュースを手掛けたこともあるそうで、小林いわく「土屋さんは心の師匠です」とのこと。あらためて、音楽や芸術を介した縁の不思議さと面白さが感じられるこの逸話には深く頷くしかなかった。
むろん、素晴らしい縁でつながれた音はこのあとにも舞台上で続々と紡がれていくことに。中盤戦に入ったところでは普段なら主にキーボードを弾く藤原真人がガットギターの弾き語りをしつつ、その脇を小関純匤 、JUN (Valentine D.C./from DER ZIBET) 、HIKARU、DIE(Ra:IN/hide with Spread Beaver)らが固め、エミ・エレオノーラとちわきまゆみがコーラスで参加するというスタイルにて、DER ZIBETのコアファンから特に愛されているバラード「Sad cafeで会おう」が温かく落ち着きあるトーンでもたらされ、場内にはこらえきれず涙をこぼす人々の姿もちらほら…。
「待つ歌」では引き続き真人がガットギターを奏でる中、トリビュート盤においても風情ある歌を聴かせてくれていた木村世治が、ある意味では音源以上に想いのこもった歌を場内へしかと届けてくれた一幕も極めて印象的で、約40年前=1985年にDER ZIBETのデビュー曲として発表されたこの曲が今もまだ色あせずにいることを、ここでは明確に証明してくれていた気がする。
さて。全曲が紛うことなき見せ場となっていたのが今回のトリビュートライブ[- ISSAY gave life to FLOWERS -]であるわけだが、その中でも追悼の意味が最も色濃く滲んでいたのは、ISSAYとは古くから盟友同士であった宙也と、ISSAYとは近年よくライブで共演していたというtezya(tezya&the sightz/Euphoria)によって、あの「マスカレード」が歌われた場面だったかもしれない。
というのも、1991年にリリースされたミニアルバム『思春期II -DownerSide-』に収録されていた「マスカレード」のオリジナル版はISSAYと櫻井敦司(BUCK-TICK)によるデュオ作品であったからだ。なお、トリビュート盤ではtezyaがISSAYパート、michi. (MASCHERA / S.Q.F / ALICE IN MENSWEAR)が櫻井敦司パートを歌ったのに対し、この夜のライブでは宙也が以下のように告げてから麗しき仮面劇かのような歌世界が繰り広げられていくことになった。
「もうひとりの友だちの代わりに…」(宙也)
ISSAYと、櫻井敦司と。ふたりに対する愛情と慕情が、tezyaと宙也の陰影ある二重唱として織りなされてゆく様から、悲しみや切なさ以上にそこはかとない慈しみの念を感じたのは何も筆者だけではないはず。まさか「マスカレード」をそのような心境で聴く日がやって来ようとは夢にも思っていなかったものの…このトリビュートライブで“あのふたりに”「マスカレード」が捧げられたことには大きな意味と意義がある。
さらに、次曲の「Der Rhein(デルライン)」では宙也とエミ・エレオノーラがマーヴェラスなデュエットで観衆を魅了し、トリビュート盤で聴けた宙也+kyo (D’ERLANGER) とは一味どころか全く異なる味わいで、劇的な歌とパフォーマンスを堪能させてくれたところに見応えを感じた人も多かったのではないかと思う。
そんな圧巻のデュオとデュエットが続いたあと、華麗に登場したのは芳醇にして清らかな歌声を持つヴォーカリスト・Kaya。2002年にMALICE MIZERのManaがプロデュースするユニット・Schwarz Steinのフロントマンとしてシーンに登場して以来、秀逸な歌唱力ときらびやかな存在感をもって唯一無二の表現力を駆使しながら活躍を続けているKayaは、多感な時期に聴いて好きになったという「楡の木の上」を漆黒のマーメイド・ドレス姿でたおやかに歌い綴ってくれた。DER ZIBETはロックバンドであり、実際に躍動感に満ちた楽曲も多いが、他方「楡の木の上」のようにエバーグリーンで普遍性の高い楽曲たちもしっかりと作って来ているバンドなのだ、という事実がこの場面からはよく伝わってきたのだ。
「じゃあ、ここで再びちわき嬢に登場していただきましょうか」(HIKARU)
先ほどまでは司会として、そればかりかコーラスでもステージを彩ってくれていたちわきまゆみが、ここではいよいよヴォーカリストとして登場。トリビュートアルバム『ISSAY gave life to FLOWERS - a tribute to Der Zibet -』の中でも、随一と言っていいくらいに原曲とはまるで違う斬新なアレンジと歌唱スタイルで独自の世界を提示してくれていた「沈みたい」を、HIKARUの率いる生バンド編成にてコケティッシュにしてアンニュイでもあるグラマラスロックチューンとして場内いっぱいに響かせてくれたのだった。
かくして、盛夏の夜が更けていく頃には再度バンドチェンジが行われ、ここからのサウンドを構築していってくれることになったのドラマー・梅田一哉(from DER ZIBET)、JUN、米澤誠一朗 (ex.Lynx/W.A.R.P./Mother Goose)、Yukino (krishnablue/ex.AUTO-MOD)、真人、HIKARUという顔ぶれ。演奏されたのは2012年にリリースされたアルバム『ROMANOID Ⅱ』収録の「SISTER ROMANOID」で、ここでは tezyaと荒瀬大 (dieS)がタッグを組みながら、スタイリッシュなダンディズムがダダ漏れする状態での粋な歌いっぷりをみせつけてくれた次第だ。
「会場の皆さん、そろそろ拳とかあげたり出来ますか?そろそろライブも終盤なんで、ガッチリ楽しんでいきましょうよ!」(章人)
あらたにベーシストとしてRIKIJI (Oblivion Dust/ IMOCD!)、コーラス隊としてエミ・エレオノーラとちわきまゆみが再参戦するというお膳立ても整ったところで、章人は完全に攻めのモードで場内を煽り倒しながら、ロックヴォーカリストとしての本領を発揮。その歌に共鳴するかのごとく、間奏ではHIKARUのエモいギターソロもバチバチに炸裂するに至った。さっきまで座ったままで拍手をしたり、身体を揺らしていた人々が、なかば雨後のタケノコのように次々と立ちあがってこぶしをあげ、サビの〈Victoria〉をコールし始める光景はなんとも眩しく、ふと「あぁ、そうそう。DER ZIBETのライブってこういう感じだよね!」という想いに駆られた人も少なくなかったに違いない。
当然、ひとたび火の着いた花火は派手に打ち上がるのが定石となる。章人に加えてKen-ichi(Valentine D.C./VERTUEUX)をヴォーカリストに迎えた「サイコリザード」では、プリミティヴ&アッパーな音にあわせてISSAYがよくやっていた“リザードダンス”を始めるファンも出現…!次なる「深海魚」ではKen-ichiがトリビュート盤と同様に単独歌唱でワイルドなヴォーカリゼイションを聴かせる一方、同じくValentine D.Cのメンバーであるだけでなくfrom DER ZIBETの一員でもあるJUN、1990年に行われたDER ZIBETの全国ツアー[HOMODEMENS TOUR]でもサポートメンバーとしてこの曲をプレイしていたキーボーディスト・DIEも加勢しての演奏で、遂に渋谷duo MUSIC EXCHANGE内のボルテージはマキシマムレベルへと突入。
そこからなだれこむように本編の最後を締めくくった「マンモスの夜」では、宙也・荒瀬大・ちわきまゆみの3人がセンターに陣取り、このプレミアムなカーニバルを限界突破させる勢いでスパークし、途中にはさまれた各パートのメンバー紹介を兼ねたプチソロコーナーも相当なテンアゲ場面だったかと!
「ISSAY!We Love You!!」(ちわきまゆみ)
たくさんの歌、数々の音、はかりきれないくらいの想いたち。今宵このステージと場内にあふれかえっていたそれらと、ちわきまゆみが本編の終わりで発したこの言葉。その全てはこの場にいたであろうISSAYに、あますところなく届いていたものと確信する。どこの誰よりもライブが大好きなISSAYのことだ。「オマエら、なんだか楽しそうだな!俺にも歌わせろよ!!」と悔しがっていた可能性もありそう。
これだけ奇蹟の連続のようなライブだっただけに、終演後には観客席から大きなアンコールの声が湧きあがり、間もなく本日の出演者たちが舞台へと続々とカムバック。
「アンコールなんだけど、もともとは予定に入ってなかった人たちもいろいろ出たいっていうことでね。ユカイはスケジュールの都合で別現場にさっき送りだしたんですが、シャケは今からやる曲も知らずにやってくれます(笑)」(HIKARU)
ということで、リハーサル段階から既に決まっていた宙也、章人、荒瀬大、ちわきまゆみ、HIKARU、Yukino、米澤、JUN、梅田、真人だけでなく、Ken-ichi、tezya、そして 木暮“shake”武彦も交えての豪華な大セッションが実現したのは「Only "You", Only “Love”」。〈「あなた」がいなくてさびしい…〉〈やり切れない夜を越えて 「あなた」にきっとたどりつく 〉ISSAYがこの真っ直ぐな歌詞をライブで歌う時、デルジファンの多くもまた真っ直ぐな眼差しを向けながら、歌詞中にある「あなた」の部分で自分の推しメンをそれぞれに指差すのがおなじみの光景だったことを思い出し、つい胸が締めつけられてしまったのはここだけの話。本当ならばここに一番いて欲しい「あなた」がいないという現実はどうしたって辛いものだとしても、その「あなた」に向けてここにいる全員が同じ気持ちで〈I cry for only "You"〉と精いっぱいにシンガロングし、懸命に音を奏でているという事実をあらためて認識した時には、どこかから〈誰の為にも泣けない 声を限りに歌う〉というISSAYのあの真摯な歌声が聴こえた気がした。
「ほんとに今宵はありがとうございました。最高に楽しかったです!」(ちわきまゆみ)
「みんなありがとうね。では、最後に「Flowers」!!」(HIKARU)
なぜ、トリビュートアルバムのタイトルが『ISSAY gave life to FLOWERS - a tribute to Der Zibet -』だったのか。なぜ、このトリビュートライブに[- ISSAY gave life to FLOWERS -]というタイトルが冠されていたのか。その理由は全てこの「Flowers」という楽曲に詰まっている。
〈Flowers 幾千の思いよ〉という歌詞を含むこの歌は、すなわちDER ZIBETとファンにとっての聖なるアンセムにほかならない。サビの〈Flowers くるくる踊って咲き誇れ〉とは生命讃歌を意味する詞であり、あらゆる人生の在り方を肯定するものだと受け取れる。その反面、〈Flowers キラキラ輝きくだけ散れ〉というくだりからはISSAYが内包していたのであろう死生観をも推察することが出来る。エンディングで〈Flowers, My lovers, Flowers〉というフレーズが繰り返される部分からは、これが広い意味での愛の唄だということもひしひしと伝わってくるだろう。
この尊き「Flowers」でメインヴォーカルをつとめてくれたのは小林祐介、木村世治、Kayaの3人で、コーラスとしては「Only~」から引き続くかたちで各ヴォーカリストたちも参加。つまり、オールスターメンバーがこの「Flowers」を大切に、丁寧に、丹精を込めながらISSAYへと捧げてくれたのだ。
思えば、ISSAYのソロ・アルバム『FLOWERS』に参加してくれたhide。古くからの交流がありKA.F.KAでも共に活動した森岡賢。「マスカレード」だけにとどまらず、BUCK-TICKの「愛しのロックスター」でもからんだ櫻井敦司。決して長い時間ではなかったもののLynxとしての日々を過ごしたheath。ISSAYとISSAYを敬慕してくれていた何人かのミュージシャンたちが、今となっては異世界の住人になってしまったこと自体はとてもやるせない。ただ、たとえ地上から実体が失われたとしてもアーティストの生み出した作品、音、歌詞、メッセージが我々の心の中に響き続ける限り、音楽はきっと永遠の輝きを放ち続ける。それはひとつの真理だと言えはしまいか。
ましてや、DER ZIBETは今秋に結成40周年を迎え、来年10月にはデビュー40周年という節目を迎えるうえ、近い将来にはISSAYが歌詞つきの仮歌を入れてあったという未発表曲を音源化するプランもある。久しく入手困難だった過去音源が続々とサブスク解禁となっている状況も、実のところ奇蹟的といえば奇蹟的だ。
トリビュートライブ[- ISSAY gave life to FLOWERS -]で実現した、あたかも真夏の夜の奇蹟のように。DER ZIBETはこの先にもまだ奇蹟を生みだしていくはずだ。我らの愛するISSAYよ、DER ZIBETよ、永遠なれー
ライター:杉江由紀
