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Profile

ISSAY / Vocal

メンバー内で唯一、体形を維持している驚異的な人間。酒以外、余り口にするのを見た事がない。今でもビジュアル系と呼ばれるゆえんである。

初めてのバンドISSAY and SUICIDESを経てISSAYソロプロジェクト(HAL参加)の後、1984「星くず兄弟の伝説」で映画デビュー。この時、プロデューサーであった近田春夫氏に見初められ、DerZibetデビューへとつながる。

映画、ドラマ出演作はドラマ、「あいつがトラブル」「ダンディーと私」ミュージカル 「ダンスはうまく踊れない」

ソロアルバムとして「Flowers」BMGビクターがある

バンド内では、主に作詞担当。攻撃的なルックスとは裏腹に、やさしく人当たりが良いので初めて会った人は恐る恐る近づいてくるが、その反動で一気にファンになる。

友人も多く、若手ミュージシャンからの信望も厚い。

現在参加しているバンド、ユニットは土屋昌巳ユニット「KA・F・KA」w/ウエノコウジ(the HIATUS、ex.TMGE)、宮上元克 (ex.THE MAD CAPSULE MARKETS)、森岡賢 (minus(-)、ex.ソフトバレエ)「ISSAY meets DOLLY」w/福原まり(ex,REAL FISH, SHI-SHONEN)

1983年よりパントマイミスト望月章氏に師事し、氏の公演活動にも参加。

ちなみにDerZibetの九段会館でのデビューライブには、望月氏もマイムで出演。

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HIKARU (吉田光) / Guiter

DER ZIBETの長兄であり、音楽面でのリーダー的存在である。

ノイズからアコースティックまでそのギタープレーは幅広く、多くの後輩ミュージシャンに影響を与えた。

1984年に友人を介してISSAYと知り合いDER ZIBETを結成する

それ以前は1980年にプロとしての活動をスタートさせ、1982年にBe-Bopsでコロンビアよりデビューと、メンバーの中では最もプロのミュージシャンとしてのキャリアが長い。

1994年にはDER ZIBETと並行してPugsを結成(HONEY★K、ホッピー神山、岡野ハジメ、スティーブ衛藤、他)'97Casual Tonalitiesより全米デビュー、春、全米18カ所ツアー、夏、ローラパルーザ2nd Leg(16カ所)参加。 DER ZIBET活動休止後は、2005年音生力(onseiriki)を結成。宮崎、鹿児島で活動中 w/Toshi永井(Dr,GLAY、氷室京介サポート),石井秀弦(津軽三味線),岩切邦光(和太鼓)etc

2005年Loco-Apes(ロコ・エイプス) w/Joe矢吹(bass),タニウチヒロシ(Gtr,Vo),Tell(Dr),MOMO(Synth&Noise)'06 アシッド・ノイズ演歌ユニット「銀盤旅行」結成 やや(夜霧のハウスマヌカン) hiro稲岡(ex Be-Bops)又、プロデュース、レコーディング、ツアーサポートギターとしての評価も高く数多くの経歴がある。(プロデュース =BAKU, 佐久間学, 樋口沙絵子, Valentine.D.C, D.I.E,KneuKlid Romance, All I Need 他、レコーディング、ツアーサポート・吉川晃司、氷室京介、Ryoichi,ちわきまゆみ、大沢誉志幸 等々)また、なかなかのグルメで、ツアー等で地方に行くとその地方の特産品を買いあさる癖がある。

その昔、極度に重いダブルネックギターを弾きまくり、そのあげくに肋骨にひびが入った事もある強者である。

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HAL (川島晴信)/ Bass

かつてはDer Zibetの母と呼ばれ、難しいメンバー間の潤滑油的な役割を担っていた。

HALを慕って、友人や後輩達も集まり、パーティー、イベントの首謀者である(HALの「サンマ飯」は有名であった)。

1992年よりDer Zibetと並行して「PILER STUPAピラー・ストゥーパ」の活動も始めるw/ DERPHINE 13(Vocal,G) D.I.E(Key)佐藤稔(ex.Fliction,Φ)(Dr)。

DerZibet休止後はISSAYとともにΦ(ファイ)に参加、その後、ワームクロール他にサポートとして水戸華之介、Kyo(デランジェ)、東京少年 等々やValentine D.Cのプロデュースも手がけた。MAHITOとのユニット「スポンジ」では、Vシネマ、ドラマの音楽も担当。HIKARUとも、テレビドラマ、ネットコンテンツの制作を手がけたりした。

2004年2月の事故で再起不能と言われるも、持ち前の根性と奇跡的な回復力で克服。バンド再始動の火付け役となった。

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MAYUMI (三瓶真弓) / Drums

Der Zibet結成時に、MAHITOが、たまたまその時に会ってたMAYUMIに声をかけ、そのまま連れてきてメンバーになったと言う変わり種。

Der Zibetの宴会部長としても有名で、デビュー当時の渋谷の居酒屋で、Queenのフレディになりきり、他のお客を交えて総勢100名以上でのWe will ROCK YOUでDer Zibetのみならず、ロックバンド打ち上げお断りという伝説を作った男である。

MAYUMIのタム回しは天下一品で、特に「マンモスの夜」の全盛時には他の物を圧倒していた。

絵心にも長けていて、当時からイラストは素人の域を超えていた。

再結成バンドのマスコットである、スモウソングも彼のイラストである(これは、Led ZeppelinのSwanSongレーベルのパロディである)。

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MAHITO (藤原真人) / Keyboard

1984年バンド結成当時のメンバー。1985年デビュー前に脱退するも、レコーディング、ライブ、打ち上げには参加。特に、打ち上げで顔を見ない日は少なかった。Φ(ファイ)でも、サポートメンバーとして参加し、今回の再始動でDer Zibetの正式メンバーとなる。

HALとのユニット「スポンジ」では、ドラマ音楽等を制作。

他にツアー、レコーディングをサポートしたアーティストは、あがた森魚、UP-BEET、NOKKO、田辺マモル、ハナレグミ、中納良江(エゴラッピン)湯川潮音、ビューティフルハミングバード、つじあやの、イノトモ、セカイイチ、水戸華之介.等、多岐多数にわたる。

ほんわか系からROCK物までこなせる、数少ないKeyboardistの一人である。

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